裸のボランチ

私の家のロフトには、ドロシーが住んでいる。ドロシーという名に聞き覚えがなければ、佐藤藍子でもいい。私が佐藤藍子のことをドロシーと呼び始めたのは、ちょうど5年前のイースターの日からだったが、いまだにイースターが何月何日なのか私は知らない。ともかく、私のドロシー=佐藤藍子という記号的処置をわかってもらえれば、問題はない。

ドロシーこと佐藤藍子が私のロフトに住み始めたのは半年前の寒い冬の日だっただろうか。正確な時刻は覚えてないが、きっと夜だったはずだ、なぜなら、佐藤藍子は昼の間ずっと近所の喫茶店「新共和国からの使者」で給仕の仕事をしているからだ。国民的美少女コンテストで鮮烈なデビューを果たしたのも今は昔、ブラウン管の中にはもう佐藤藍子の耳が入りきるほどのスペースなどなくなってしまったのだ。失意の佐藤藍子は夜通し飲み続け、放浪の果てに「新共和国からの使者」に辿り着いた。そこでどんなドラマがあったのかは知る由もない。事実として残ったのは、佐藤藍子が働き始めた、佐藤藍子の耳が「新共和国からの使者」に入ることができた、ということだけだ。

私が佐藤藍子に出会ったのも「新共和国からの使者」だった。一時期、私は「新共和国からの使者」盛大に有り余る時間を浪費していた。「新共和国からの使者」はコクと酸味を全て削り取った泥水のようなコーヒーを出す店だった。まずいコーヒーをすすりながら、私は色々な雑誌を読んだ。「月刊廃棄物」や「月刊田口トモロヲ」などでマニアックな側面を出しつつ、ときには「ぴあ」で映画を探し、「Tarzan」で胸毛の色気を醸し出し、「サイゾー」でサブカルチャーに理解のある大人を演じたりもした。大体が、雑誌というものは、書かれている記事の内容よりも、その雑誌を持っていることで他者に認識されるアイデンティティによって選ばれることが多い。「Relax」を読んでいる男は大抵ゲイだし、「Tokyo Walker」は雑誌と同様に内容のない人間ばかりだ。他者からどう思われるかを規準にして、雑誌を選ぶ事もあるし、その雑誌に合わせて自分を演じるということも、読者には必要になってくる。「R25」ならば道に迷う若手社会人を演じなければならないし、「男の隠れ家」ならばセミリタイアを志すベンチャー社長を、「CamCan」ならばキャンパスヒロインキラメキコスメであの人をゲットといった感じを醸し出さなければならない。私が佐藤藍子と出会ったときには「Rockin'on」で革命を起こしている最中だった。その革命の大仰さが私を反政府的に見せていたのかもしれない。後に佐藤藍子は語る、「それは革命的な出会いだった」と。私には佐藤藍子はそれほど魅力的には映らなかった。ブラウン管から現実に放逐された彼女は、テレビに映る影のようにしか見えなかったからだ。私は親しみを込めて彼女をドロシーと呼ぶことにした。ドロシーという名が、ロシアでは「愚鈍でかわいい姫」を意味することは周知の事実だ。佐藤藍子=ドロシーは意味もわからずに狂喜していた。

茶店で知り合ってからしばらくして、佐藤藍子は私のロフトに住むようになった。何をするでもなかった。私が仕事に言っている間、ドロシーが何をしていたのかは知らない。おそらくその耳の大きさを嘆いたり、ロシア人に対する罵倒語を考えていたり、平行な二本の直線が交わる平面上の極限的地平線を垣間見たり、要するに何もしていなかったのだろう。彼女は時間になると「新共和国からの使者」へ仕事に出かけ、時間になると仕事から帰ってきて、ロフトに上っていった。私がロフトの上に上ろうとするとはしごから蹴落とされるので、私は主に下で生活した。最初のうちは呼びかければ返事したのだが、しばらくするとうんともすんとも言わなくなったので、私はロフトに声をかけることをやめた。それから六ヶ月が経った。佐藤藍子は「新共和国からの使者」に仕事に行かなくなった。ロフトから降りてくることはほとんどなく、呻き声ばかり聞こえてくるので、私は絶えかねてロフトをベニヤ板で封鎖した。彼女は嫌がりもせず、ただ蒲団の上でぐったりとしていた。それきり、佐藤藍子の顔を見ていない。時折、佐藤藍子がテレビに出てくることがあるが、あれは確実にCGだと思っている。ドロシー=佐藤藍子は今も私の部屋のロフトにいるのだから。

佐藤藍子は死んだのだろうか?いや、そうではない。私が時折ベニヤ板をノックすると、弱々しい返答のノックが返って来る。最近になって、そこが彼女のブラウン管なのかもしれない、と私は思うようになった。ドロシー、ドロシー、かわいそうなドロシー。薄っぺらな板に囲まれた四角い箱がテレビだなんて、そんな悲しい話があるだろうか。だが、私がドロシーを救い出す術はない。いっそのこと燃やしてしまおうか。そんなことを思う代休の夕暮れ時だった。