鳴かぬなら鳴くまで待とうオルバイス

昨日、家に帰ると木村弓が米を研いでいた。
「何してるんだ。」と私は当然言った。
「米を研いでるのよ。」木村弓は歌うように言った。いや、歌っていた。なぜなら彼女は歌姫なのだから。

ここで木村弓の経歴を紹介しておくのも悪くないだろう。
高校一年のときに、彼女はアメリカに単身留学し、ピアノを専攻。
その時生活費を稼ぐために、彼女は春を売っている。
歌姫から娼婦へ。だが、この二つは元来同じものなのかもしれない。なにしろ、楽譜をなぞるのと春をひさぐのとどちらが困難かと言われれば、断然黄緑色の下敷きに黄色いマーカーペンで詩を書くことだからだ。黄緑色の下敷き以下、ということは、やはり二つの作業は同じとみなしてもいいのだろう。

ともあれ、娼婦への華麗な転進を遂げ、なおかつ歌姫でもあった木村弓だが、アメリカで成功を遂げることはできなかった。理由はわからない。おそらく「サリンジャー的虚無感」が足りなかったのだろう。彼女はせいぜい「閉塞したレーガニズム」とか「潰えた公民権運動の幻想」程度のことしか学ぶことができなかった。アメリカでは「サリンジャー的虚無感」が足りないだけで蔑視されることもある。特に、あの頃のアメリカはそういう時代だった。彼女もその例にすっかり当てはまってしまったということだ。

失意のうちに帰国した木村弓を襲ったのは病魔だった。彼女は脊椎を害する。脊椎を害するというのはどういうことか。脊椎を迫害するのか脊椎を水害するのか脊椎を損害するのかでは随分と意味が違う。かくも日本語は難しい。もしかしたら「脊椎を guy throw 」のような西海岸青春グラフィティなのだろうか。だが、おそらく木村弓は脊椎を害したのだろう。きっと気分を害したとかそういうことと同じに違いない。声も出ない毎日。娼婦をやめた彼女は歌姫もやめざるを得ないのだろうか?だが、違う。彼女は不死鳥のように復活する。あまりにも有名な彼女のあの歌から、詞を抜粋してみよう。

呼んでいる 胸の どこか 奥で
いつも 心踊る 夢を 見たい

これは言わずと知れた名曲「いつも何度でも」の冒頭部分なのだが、木村弓の病魔とはおそらく何も関係ないだろう。彼女は整形外科へ通ったはずだ。地味な治療。「大好きな歌が待ってるから・・・・」。彼女はこう言って耐えただろう、「天才ですから」。しばらくして彼女は完治する。だが、元に戻ったはずの脊椎には罠が仕掛けられていた。それは言うなれば「前掛かりになったレアル・マドリーの両SB裏のスペース」のようにわかりやすかったが、彼女は気付かなかった。放っておけば致命傷になるその傷を抱えながら、彼女は歌い続けた。その見事な歌声を聞いて、誰も彼女が脊椎に重大な罠を仕掛けられているとは気付かなかった。宮崎駿を除いては。舞台袖で晴天の霹靂のような顔をする彼女に、宮崎駿はレントゲン写真をつきつける。具体的には難しい名前だが抽象的に言えば「前掛かりになったレアル・マドリーの両SB裏のスペース」である空隙を指し示す宮崎。崩れ落ちる木村。優しく木村和司の方を撫でながら、宮崎は戦術的に「両SBにスタムとコスタクルタを投入」する。みるみるうちに埋められるスペース。本当の意味で完治した木村は今までにない屈託した歌声を奏で始めた。それがあの名曲「いつも何度でも featuring DJ Kai Atou 」だったことは余りにも有名な話だ。また、宮崎がその歌をヒントにして大ヒット映画「戦国自衛隊」を撮ったという事実は、ここでは蛇足に過ぎないだろう。

木村弓はその映画を足がかりにして「歌える娼婦」の名を確固たるものとし、今でも王座に君臨している。そんな木村が米を研いでいる。私は鞄を置きながら尋ねる。「今日のおかずはなんなんだい?」。彼女は歌で答える。「米と塩」。私は大声をあげて笑った。彼女が「潰えたアメリカンドリームの幻想」を微塵も体得してないことが心地よかったからだ。私は「いつまでいるつもりなんだい?」と尋ねた。彼女は右手に米、左手に塩を持ちながら、今度は叫ぶように答えた。「夜が明けるまでだ!」。どうやら、ここを木村は終の棲家と定めたようだ。きっと、夜が明けることなんてことはないのだから。だけど、私は彼女を優しく受け止めようと思う。そう、彼女が「飼葉桶に顔を突っ込んだ間抜けなペドロ」のように歌いつづける限り。